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1. ご挨拶に代えて
日本写真芸術学会会長 高橋則英
この度、4 月に行われました令和4 年度第1 回理事会での互選に基づき、6 月の第31 回通常総会(議案送付による文書総会)でご承認を頂き、3 期目の会長の任を拝命致しました。さらなる重責を感ずるとともに、ここに一文を記させて頂きます。
2020 年春に始まった新型コロナウイルス感染症の流行は依然として収束しないまま3 年目に入り、現代社会への大きな影響が続くとともに学会活動も過去にない影響を受けています。このような状況の中、昨年は年次大会として学会創立30 周年記念・特別講演・研究発表会を開催し、本年も年次大会として特別講演・研究発表会を開催することができました。関西支部の研究会やシンポジウムも含め、学会活動を継続して行えているのも、理事の方々や会員の皆様のご協力の賜物と感謝申し上げます。
さて平成3(1991)年3 月に創立された日本写真芸術学会は、本年満31 歳を迎えたということができます。31 年前はそれほど遠い過去ではありませんが、現在の写真界の状況は学会創立当時とは大きく変わっているということを2 年前の学会ニュースのご挨拶でも申し上げました。ここで改めて創立当時のことを振り返ってみたいと思います。
1991 年8 月、最初に刊行された学会ニュースの中で、初代会長・渡辺義雄先生は「・・・写真誕生150 年を機に、その機運が高まったことは喜ばしいことであります。近年特に写真教育を中心にしている各大学間の交流が密接になり、研究や教員の交換等が行われるようになったことも、そのような学会の設立の必要性を実感したことが大きなきっかけになったようであります。しかし、写真関係での先輩学会である(日本)写真学会の国際的な活動や、新しい分野をもとりこんだ(日本)映像学会の着実な活動、さらには、アメリカを始め世界の同種の学協会の誕生と活発な活動などが、大きな刺激になったことも新学会誕生の引き金になったと申せましょう。・・・」と述べておられます。
またこのニュースに掲載されている設立総会の記録の中で、当時の日本写真学会会長・久保走一先生は祝辞として「・・・英文を見てみますと日本写真芸術学会の方はSociety forthe Arts and History of Photography of Japan で、私ども日本写真学会の方はSociety ofPhotographic Science and Technology でございます。このScience & Technology が、Art& History と合致しますと写真全体をカバーする、つまり、本当に写真という学問が成立するという風に考えられる訳であります。・・・私ども日本写真学会も、この新しい学会に対しまして、微力ではございますが力の許す限りご協力申し上げたいと存じます。・・・日本写真芸術学会の将来のご発展に対しまして、心からなるご協力をお誓い申し上げると共に、ご発展をお祈り申し上げまして、ご挨拶とさせて戴きます」と述べておられます。
前会長・内藤明先生が昨年のニュースで追悼文を書いておられますが、久保先生も一昨年ご逝去されたことは誠に残念なことでした。そしてそのお言葉を見るとき、今更ながら隔世の感を禁じ得ません。
31 年目以降の学会の進む方向を見定める際に、改めて渡辺先生のお言葉に記された、当時のきっかけや刺激に思いを寄せ、初心に帰って学会活動を着実に進める必要があるのではないかと考えます。
1991 年3 月31 日に開催された設立総会の参加者は430 名に上ったという記録があります。この点も、現在とは大きな隔たりを感じるところです。学会は近年、会員数の減少傾向が続き、それに伴って財政的にも運営の厳しさが増しているという現状があることは、やはり2 年前のニュースで申し上げました。
この対応として学会事務局につきましては新年度4 月よりその業務を、これまで学会誌やニュースの印刷等でお世話になってきた㈱タスプに委託しております。財政状況悪化への対応については昨年度理事会にて検討を重ねてきましたが、運営費の約3 割を占めてきた人件費を削減すべく、事務局業務を外部委託することとしたものです。会員の皆様にご理解をお願いするとともに、今後は事務局業務の効率化と迅速な会員向け各種対応により、学会のさらなる活性化を目指していければと考えております。
末筆ながら、会員の皆様にはご健康にくれぐれもお気を付けお過ごし頂くとともに、今後とも本学会をよろしくお引き立てのほどお願い申し上げる次第です。
2. 年次大会報告
総会報告
令和4 年度第31 回通常総会は新型コロナウイルス感染症対策のため文書総会(5 月24日送付)として行われ、会則第15 条【総会は正会員の1/3 以上の出席(委任状を含む)を以て成立し、議事は出席者の過半数の賛成により決定する。但し、賛否同数の場合は、議長がこれを決める】 に則り書面表決とし、ハガキによる投票(正会員数375 名のうち155 通)の結果、以下議案の全てにおいて承認されました。
日本写真芸術学会 第31 回通常総会(議案送付による文書総会・書面表決)
◎報告事項
1.理事・監事・評議員改選選挙結果報告
◎議事
第1 号議案 会務・会勢報告
第2 号議案 令和3 年度事業報告
第3 号議案 令和3 年度会計報告・会計監査報告
第4 号議案 令和4 年度事業計画
第5 号議案 令和4 年度予算案
第6 号議案 会長・副会長選出の件
< 訂正>
総会議案書1 頁、報告事項の残留役員の中で百瀬俊哉理事の記載漏れがございました。お詫びして訂正申し上げます。
特別講演・研究発表会報告
特別講演・研究発表会の部は、6月11 日(土)13:00 〜17:25 にオンラインで実施いたしました。
総合司会を年次大会実行委員長の秋元貴美子理事が務め、はじめに高橋則英会長より開会の挨拶がありました。次に、西垣副会長を座長として、新井卓先生の基調講演へと移りました。その後、小原理事を座長として研究発表① ( 論文口述) の予定でしたが、発表者体調不良により発表は取りやめとなりました。続いて、鳥海理事を座長として論文口述が1件、佐藤英裕理事を座長として調査口述1件の発表がありました。最後に、田中仁副会長を座長として特別発表( 研究会再録) が行われました。終わりに際し、吉田副会長による閉会の挨拶がありました。
発表の題目・発表者(所属)及び概要は下記の通りです。
基調講演 : 新井 卓( アーティスト、映画監督、遠野文化研究センター研究員)
「わたしたちのいない世界のための写真: 現代ダゲレオタイプの時空間、物性、記憶と記録」
基調講演は国際的に著名なダゲレオタイプ写真家である新井卓先生にお願いしました。ⅰはじめに、ⅱいまダゲレオタイプを撮るということ(20 年間のふりかえり)、ⅲ 200 年前と200 年後を現在に<ダウンロード> する、ⅳダゲレオタイプの現在、ⅴおわりに(わたしたちのいなくなった世界にむけて)という構成でした。ダゲレオタイプを始めた理由、独学での学び、撮影テーマの模索、写真の表面、物質性の重要さ、ダゲレオタイプ国際シンポジウムの報告をとおし、ダゲレオタイプの現代における価値、意義、魅力を講演されました。
研究発表① ( 論文口述) : 笠間悠貴( 明治大学非常勤講師)
「北島敬三の連作『写真特急便』における都市写真のマシニズム的な特質」
当日体調不良のため、発表は取りやめとなりました。
研究発表②(論文口述) : 芦髙郁子( 京都工芸繊維大学工芸科学研究科デザイン学専攻博士後期課程)
「静物写真研究 −1920 年代日本における取り組みをめぐって−」
1920 年代における静物写真について『白陽』や『芸術写真研究』に掲載された淵上白陽、南実、高山正隆らの作品を中心に分析し、光村利弘による静物写真の分類や中島謙吉の批評文も丁寧に考察。他の表現分野に影響を色濃く受けながら短い期間に如何に静物写真の表現傾向が目まぐるしくかつ豊かに変化し、同時代の前衛写真や後の新興写真、広告写真とどのような関係性にあったかを立体的に論考した内容が発表されました。
研究発表③(論文口述) : 角田かるあ( 慶応義塾大学大学院文学研究科美学美術史学専攻博士課程)
「ブラガーリア兄弟「フォトディナミズモ」の総体解明を目指して−メトロポリタン美術館ギルマン・コレクション他調査報告−」
20 世紀初頭にイタリアで成立した未来派においてブラガーリア兄弟が1911 年に考案した「フォトディナミズモ」について、その写真実験の成立と中断の経緯、資料の状況、兄アントン・ジュリオの著作『未来主義フォトディナミズモ』の調査について、及びメトロポリタン美術館ギルマン・コレクション所蔵オリジナル・プリント5点の調査の成果を踏まえた写真作品の考察が報告されました。
特別発表( 研究会再録) : 穴吹有希( 日本大学)、上田耕一郎( 東京工芸大学)、百瀬俊哉( 九州産
業大学)、中山博喜( 京都芸術大学)
「写真教育のオンライン化の現状と展望」
− 2020 年より発生した新型コロナウイルス感染症対策により、オンライン授業が急速化した現状を踏まえ、写真教育の検証と今後の展望を探る−
この発表は、2022 年1 月21 日にオンラインで開催された第1 回写真教育研究会「写真教育のオンライン化の現状と展望」の登壇者4 名による再発表として行われました。新型コロナウイルス感染症予防対策として、2020 年以降、世界的な社会現象となったオンラインへの移行は、写真教育へも大きな影響と変革をもたらしました。第1 回写真教育研究会では各大学の現状報告が行われ、情報交換と共有がなされ、有意義な内容となりました。
各教育機関では、2022 年度4 月から、ほぼ通常に近い形で対面授業が再開されており、研究会が行われた2021 年度とは状況が変わってきています。4 名の発表者、日本大学穴吹有希先生、東京工芸大学上田耕一郎先生、九州産業大学百瀬俊哉先生、京都芸術大学中山博喜先生の報告も前回内容を踏まえながらも、今期の状況に言及しており、今後のオンライン授業の在り方を明示する内容でした(写真は第1 回写真教育研究会報告を参照)。
(文:秋元貴美子・西垣仁美・鳥海早喜・佐藤英裕・田中仁)
学会賞
今年度の学会賞は、故金子隆一氏に功績賞(授賞理由:理事および編集委員として永く学会の運営、研究活動の活性化と発展に尽力するとともに我国の写真界全体に対する顕著かつ多大な貢献に対して)が授与されました。賞状とトロフィーはMEM ギャラリーにおける追悼展「写真史家・金子隆一の軌跡」(令和4 年6 月28 日-7 月31 日)の会場に展示されました。
また、鳥海早喜氏に学術賞(授賞理由:著作『新興写真の先駆者 金丸重嶺』〈国書刊行会、令和3 年12月7 日刊〉及び日本近代写真史に関する卓越した学術研究に対して)が授与されました。賞状とトロフィーは7月7 日に日本大学芸術学部写真学科内の金丸重嶺先生生誕百周年記念展示の前で贈られました。
3. 関西支部第 7 回研究会
関西支部 第7回研究会報告
テーマ: 1970 年代以降の関西の写真の動向を考え、アーカイブスの方法論を探る
「京都写真クラブと How are you, PHOTOGRAPHY ? 展」−(京都市1997 〜2021 年)
日 時 :2021年12月18日(土) 14:00〜16:00
会 場 :ギャラリーマロニエ5階(京都市中京区河原町四条上ル塩屋町)
How are you, PHOTOGRAPHY ? 展会場 /Zoomによるオンライン併用
ゲスト :森岡 誠 氏(京都写真クラブ代表)
岩村隆昭 氏(京都写真クラブ会員)
司 会 :村中 修 理事(関西支部代表)
出席者 :オンライン16名(予約15名)、会場3名 計19名
関西支部では写真のアーカイブをテーマに、シンポジウムではアーカイブについて議論を深め、研究会ではアーカイブの対象となるべき活動を取り上げてきました。今回の研究会では1997 年から2021 年まで京都でグループ展「How are you, PHOTOGRAPHY ? 展」を中心に写真表現をキーとした様々な活動を行って来られた京都写真クラブ代表の森岡誠氏、設立メンバーである岩村隆昭氏をお迎えしてその活動を振り返りました。なおこのような時期ですので折しも開催中であったHow are you, PHOTOGRAPHY ? 展会場よりオンライン配信と言う形を取らせていただきました。
研究会は定刻に開始し、初めに高橋会長にオンラインでご挨拶をいただいた後、司会の村中理事が集約した1997 年から昨年までのHow are you, PHOTOGRAPHY ? 展などの資料を基にゲストのお二人に時系列的にお話しを聞く形で進行しました。以下内容を要約してご報告します。
How are you, PHOTOGRAPHY ? 展は1997 年1 月に第一回展を開催しました。この時「写真家」と言うくくりではなく、デザイナーや版画家、詩人から料理人まで、広く写真を使って自由に表現をしている人たちに声がけをして参加者を募り、そして展示のキュレーションをアートフォトについて見識のある大阪の写真専門ギャラリーPICTURE PHOTOSPACE の相野正人氏(故人)ほか写真や美術のギャラリスト3 名に一任にしました。これは写真による表現を従来の写真だけの文脈ではなく、広く美術表現の文脈で捉え直そうとした試みであったと思います。
ギャラリストによるキュレーションは第3 回目まで続きましたが、3 回目以降出展者と会場が増えたために「出展者が会場で話しあって決める」という方法に変更されました。しかし出展者に写真の文脈外の人が多いという傾向は現在まで続いています。その後2001年に運営母体として同好の士が集まる京都写真クラブを立ち上げ、1999 年からは京都写真クラブ会員による京都写真展を当初は9 月、その後How are you, PHOTOGRAPHY ?展との連続開催となって現在に至ります。2021 年でHow are you, PHOTOGRAPHY ? 展は26 回、京都写真展は22 回と回を重ねてきました。
またHow are you, PHOTOGRAPHY ? 展は写真展を行うだけでなく、写真評論家の飯沢耕太郎氏や平木収氏による講演会、大型カメラや接写カメラの撮影ワークショップ、ダンスイベント、人の交流を増やすためのパーティなど多くのイベントを同時に開催してきたことも特徴です。写真作品を展示するだけでなく、写真評論や他の表現分野、美術家がディレクションする宴会まで、広く写真をキーワードにした美術表現や表現者が集う場を作り続けてきたと言えます。
How are you, PHOTOGRAPHY ? 展は、当時の写真ブームも追い風となって回を重ねるごとに参加者を増やしました。しかし人数が増えるにつれ、森岡氏一人と立ち上げスタッフでは担いきれなくなってきたため、6 回目以降は新たに若い代表を立て、多くのボランティアスタッフが協力する組織を作り対応しました。その結果、2002 年第7 回展では京都市内11 会場に200 名以上が出展する大型イベントに成長しましたが、それをピークにその後は出展者、会場とも減少。10 回目以降は再び森岡氏が代表に復帰。2021 年の第26回目のHow are you, PHOTOGRAPHY ? 展は参加者28 名、会場はギャラリーマロニエのみとなり、26 年を経てスタートに戻った感じとなりました。
今後について森岡氏は、「やみくもに参加者の人数を増やすのではなく、写真をベースにした美術表現の質を高めることが結果的に参加者の増加につながる」と考えておられ、次年度はまた複数会場で開催できるようにしたいとの意欲を持たれています。写真を美術表現の中で捉え直そうという試みは今後も続いていきます。
(文:村中 修)
4. 第 1 回写真教育研究会
第1回 写真教育研究会報告
「写真教育のオンライン化の現状と展望」
2022 年1 月21 日(金)18:30 からオンラインで令和3 年度第1 回写真教育研究会「写真教育のオンライン化の現状と展望」が開催されました。2020 年から発生した新型コロナウイルス感染症の猛威により世界中を席巻する中、教育の現場でも混乱を来しました。写真教育ではこの状況下でどのように考えて対応、対策を行ったかを現状報告を中心とした内容です。研究会は吉田副会長の挨拶、主旨説明に続いて日本大学穴吹有希先生、東京工芸大学上田耕一郎先生、九州産業大学百瀬俊哉先生、京都芸術大学中山博喜先生の発表と続きました。電子媒体を使った機動的な授業システムであるe ラーニングの導入は文部科学省が促進していることもあり懸案であったが、新型コロナウイルスの蔓延により急激にスタートしなければならない状況で、各教育機関がどのように対応したかは、注目するべきところでもあり、特に写真教育にとって「実習」をどのようにオンライン授業として展開するのかは重要でありました。各学校自体の方針があり、それに沿ったオンライン展開であるということ、学校の規模、立地などの条件も大きく左右することが報告から見えてきました。オンライン授業への初期準備、ネット環境、学生への支援、環境整備など共通する対策も多く報告されましたが、その中で各校の独自の取り組みが明確になりました。特に日本大学の対面とオンラインのハイフレックス授業の状況と環境、東京工芸大学のオンライン参加に支障が発生した学生へのヘルプセンターの設置、九州産業大学の徹底した感染予防対策による対面実習と講義系科目の状況報告、京都芸術大学の一般科目におけるツールの活用など、各校の創意工夫は、お互いに参考になることが多く報告されました。4 件の報告の後、質疑応答となりましたが、ブレーンストーミング的な情報交換の場となり各校の具体的な事例も伝えられました。最後に高橋会長から写真教育は本学会の目的の一つでもあり、今後も教育研究会の活動を活性化したいという閉会の挨拶がありました。写真教育という専門性の高い内容だけに参加者は多くはありませんでしたが、充実した研究会でした。
5. 関西支部第 5 回シンポジウム
関西支部 第5回シンポジウム報告
テーマ:「関西におけるギャラリー活動を検証する」
日 時 : 2022年 2月27日(日) 14:00~16:45
於 : Zoomによるオンライン開催
パネリスト: 綾 智佳 氏(ギャラリスト The Third Gallery Aya)
阿部 淳 氏(写真家)
吉川直哉 氏(大阪芸術大学教授・本学会員)
司 会 : 村中 修 理事(関西支部代表)
出席者 : 98名
関西支部の第5 回シンポジウムを2 月27 日(日)にオンラインにて開催しました。オンラインではありますが、パネラーのギャラリスト綾智佳氏のギャラリーThe Third Gallery Aya に、パネラーの写真家阿部淳氏、大阪芸術大学教授で本学会員の吉川直哉氏にお集まりいただき、発表とパネルディスカッションを中継する形式で行いました。直接対面してのパネルディスカッションで良い議論ができたと思います。また事前申し込みの78 名に対して最終的に98 名の方に参加いただきました。台湾から参加いただいた方がおられたほか、75.3%が非会員の方で、オンラインと言うことでの大きな反響がありました。定刻通り午後2 時に開演し最初に高橋会長よりご挨拶をいただきました。
最初に登壇いただいた吉川氏からは、1970 年代から現在に至る関西におけるギャラリーや出版、写真展などの写真活動について、自身の活動も交えながら俯瞰的にお話しをいただきました。また関西における写真活動をまとめた資料が今までなかったことから、今回のシンポジウムに合わせてお持ちの資料に新たな情報を加えた年表資料をまとめていただきました。これは今後の研究にも役立つ資料になると思います。そして各活動の資料は個人が持っておられる事が多く、時間経過と共にそれらが散逸する可能性があり、それらをアーカイブしていく必要性についても言及がありました。
次にコマーシャルギャラリーの活動についてThe Third Gallery Aya 主宰の綾智佳氏よりお話しいただきました。The Third Gallery Aya はコマーシャルギャラリーとして1996 年から現在までに380 回以上の展示を行い、のべ460 人以上の作家を紹介してきました。またphotomiami、Paris Photo を初め国内外の多くのアートフェアにも参加されており、最近は写真だけでなく他のメディウムの現代美術作品も扱われています。そして作品の取り扱いだけでなく、若手作家を育成するプログラム「Argus」、「824」、写真について考えるレクチャー「写真を読む」、「写真( )」などの活動も行われてきました。これまでの活動を振り返り「女性写真家の紹介に力を入れてきたが、その成果がやっと形になってきたように思う」とも語られました。最近はご自身のギャラリー活動のみではなく、外部企画の写真展やアートイベントのディレクションやキュレーションもやってきたが、最近は作家のマネジメントなどに活動がシフトしてきているとのことです。
次に写真家の阿部淳氏からご自身が関わってこられた自主ギャラリー活動を中心にお話しいただきました。始まりは1984 年に開催された「写真の現在展」で、そこで出会った写真作家との繋がりから1984 年ワークショップ「写真塾」、1988 年自主ギャラリー「リトルギャラリー」の開設へと広がりました。その後母校で写真のゼミを担当したことから、卒業後も写真を続けていく場が必要と考え、2004 年に卒業生が運営する「ギャラリー10:06(テンロク)」の立ち上げをサポート。2006 年に写真集出版をしたいメンバーと共に「VACUUM PRESS」を設立し、事務所にギャラリー「PHOTOGRAM」を併設。ギャラリーはその後運営メンバーが代わる度に「423 ギャラリー」「ハッテンギャラリー」「VACUUM GALLERY」と名称を変えながら現在まで存続しています。その間「VACUUM PRESS」はメンバーの写真集を定期的に刊行してきました。自主ギャラリーは経済的に継続が困難であるが「展示などに制約がなく自由であること」そして「メンバーが写真を見せ合うことで表現力が確実に上がること」が魅力だと話されました。
パネルディスカッションでは村中が司会を務め、「ギャラリーをやっていくモチベーション」、「ギャラリーの役割」などについて議論を深めました。特にそれぞれが発表で語られた「人が出会い、繋がっていく場」としてのギャラリーの意義を確認することができました。最後に「これからの活動について」語っていただき、阿部氏は「とにかく写真をやることの自由と喜びを200%感じられる場にしていきたい」、綾氏は「女性写真家の紹介、すでに亡くなられた写真家の発掘、長年活動されてきた作家の紹介などやりたいことが一杯」、吉川氏からは「出版メディア、新人を対象としたコンペティション、写真企業によるギャラリーが減少する状況の中で自主ギャラリーの役割はさらに重要になるのではないか」そして「このような活動をアーカイブしていくことが急務である」とのご意見をいただきました。
質疑応答では「デジタルデータに価値を付けるNFT(非代替性トークン)をどう考えるか」という質問があり、綾氏に「まだ不確定な要素が多く状況を見守っている状態である」とお答えいただきました。ギャラリーがオリジナルプリントだけでなくデジタルデータを扱う時代が来るのかもしれません。しかしながら今回のシンポジウムでは、デジタル時代であってもオリジナルプリントを展示し、人と人の繋がりを増やしていくギャラリーの存在は今後も重要であるとの感想を持ちました。
(文:村中 修)
【 追 悼 】田沼武能先生を偲んで
日本写真芸術学会副会長 上田 耕一郎
本学会評議員である写真家・田沼武能先生が、令和4 年6月1日に急逝されました。享年93 歳でした。
田沼先生は、当学会創設時の平成3年に会員として入会され、平成9 年3 月に東京工芸大学・写大ギャラリーで開催された第2 回日本写真芸術学会フォーラム「木村伊兵衛と土門拳」に於いて、「師・木村伊兵衛を語る」というタイトルでご講演頂きました。このフォーラムでは田沼先生の他に、細江英公先生が「土門拳コレクションについて」、金子隆一先生が「近代写真のなかの木村伊兵衛と土門拳」というタイトルでご講演されています。そして平成12 年に評議員に選出され、当学会において並々ならぬご尽力を頂戴しました。また、令和元年に文化勲章を受章されたことを受け、令和2年に学会として特別名誉賞を授賞させて頂きました。
田沼先生のご活躍は言うに及ばず、フォトジャーナリストとして世界中を巡って写真を撮り続けた日本を代表する偉大な写真家です。先生は昭和4年に東京浅草の写真館の家に生まれました。東京写真工業専門学校(現・東京工芸大学)を卒業後、サン・ニュース・フォトスに入社。グラフ写真の撮影を受ける部署で、巨匠・木村伊兵衛と出会います。「助手はいらねえ」と弟子入りを断られたが懇願を続け、後に助手として撮影に同行することになります。会社は赤字で給料も出なかったそうですが、新潮社の嘱託となった先生は売れっ子になり、忙しい日々を過ごしていきました。
一方で、師匠の木村伊兵衛からは「いつまでも頼まれ仕事ばかりだと、チューインガムのようにポイと捨てられてしまうぞ」と言われていたそうです。昭和34 年にフリーランスとなり、昭和40 年にはアメリカのタイム・ライフ社と契約。ニューヨークで研修を終え、休暇で訪れたパリのブローニュの森で、夢中になって遊ぶ子どもたちの姿に魅せられ写真を撮っている時に、「世界の子どもたち」をテーマに写真を撮りたいと思ったそうです。子どもは社会を映し出す鏡で、その国の環境も時代も伝えられると考えたのでした。世界の子どもたち、人間のドラマ、武蔵野、文士・芸術家の肖像などを撮り続け、昭和54 年にモービル児童文化賞、昭和60 年に菊池寛賞を受賞、平成2 年に紫綬褒章、平成14 年に勲三等瑞宝章を受章、平成15年に文化功労者に顕彰されました。そして、令和元年に写真家として初の文化勲章を受章され、写真界がお祝いムードに包まれたのは記憶に新しいところです。令和2 年には朝日賞特別賞を受賞されています。田沼先生の写真界における功績は大きく、日本写真家協会会長、日本写真著作権協会会長、日本写真保存センター代表などを歴任し、写真家の地位向上などに尽力。母校・東京工芸大学の教授として後進の指導にも携わりました。私は平成8 年に東京工芸大学に入学し、4 年次に田沼先生の研究室に所属していました。私の母は写真のことは詳しくないのですが、田沼先生が世界中の子どもを撮る写真家で、ユニセフ親善大使の黒柳徹子さんと多くの国を訪問していることは知っていて「すごい先生がいる大学に入ったね」と驚いていました。先生はとても厳しく、そしてとても優しい方でした。「写真は(撮影者の)魂がこもっていないといけない」、「相手(被写体)に感動していないといい写真は写せない」、「チョロスナ(ちょろっと撮ったスナップ写真)ではダメ」とよく仰っていたのを思い出します。卒業制作の締切間際に「まだまだ写真が足りない」と言われた時は、本気で卒業できないと焦ったものです。日々の叱咤激励が当時の私の作品を成長させてもらえたと感謝しています。「生涯現役」を公言されていて、写真を撮り続け、そして発表し続けないといけないといつも仰っていました。何歳になっても常にパワフルに活動されていたので、突然の訃報に言葉を失いました。お亡くなりになった6 月1 日は「写真の日」。まさに“ レジェンド” です。
田沼武能先生のご業績とお人柄を偲び、心よりご冥福をお祈り申し上げます。先生、ありがとうございました。